礼拝説教の要旨・2026年4月26日・使徒1:1-11
“これからは見えない主によりたのめ”
主の復活から昇天までの40日という移行期間、弟子達は新しい歩みを始めるために備えられた。どのように備えられたのか。
〇まず主の復活を確信するように備えられた。十字架以前、主は十字架とともに復活も予告したが、十字架を聞く耳が全くなかった弟子達だから復活なんて思いも及ばない。主の復活の知らせを聞いても疑い、なかなか信じられない。でも、主の復活を信じなければ意味がない。使徒とは主の復活の証人という意味だ。だから主は「数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒達に示された」焼き魚を食べ、傷跡がある手や脇腹を見せた。
〇また目に見えない主イエスを宣べ伝える者になるように備えられた。主が昇天していなくなると、弟子達が主について教える側になる。彼らには、主から教えられたことや思い出があったが、十分ではない。でも、足りないところを満たす良い資料があった。それが聖書だ。
ルカ24章「わたしについて、モーセの律法と預言者達の書と詩篇に書いてあることは、すべて成就しなければなりません」旧約聖書には、救い主について書いてある。弟子達は、もうすぐいなくなる主を旧約聖書から宣べ伝える者として備えられた。
〇彼らは目に見えない国を求めるように備えられた。彼らはこれまで他のユダヤ人達と同じように、目に見える国を求めていた。それはイスラエルの国を再興して昔の栄光や繁栄を取り戻すことだ。だが、主は神の国について全然違うことを語られた。ルカ17章で「(神の国は)見よ、ここだとか、あそこだとか言えるようなものではありません。神の国はあなたがたのただ中にあるのです」ヨハネ18章「わたしの国はこの世のものではありません」
神の国とは、この世の権力でも制度でもなく、みことばを聞いて主を信じることから私達のうちに生まれる神の支配だ。それは私達に信仰や希望や愛や忍耐を与え、宣教の情熱やビジョンを与える。それはこの世で終わりではなく、来るべき世でも永遠に続く。弟子達はその時、ビジョンの大転換を迫られていた。それは目に見える国ではなく、目に見えない神の国を求めることだ。
だが、彼らはイスラエルの再興というビジョンをそう簡単に捨てられない。だから主はそのことは父なる神にゆだね、もうすぐ与えられる聖霊について語る。「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます」これまで主に教えられるだけ、主を頼りにするだけだった彼らは自分達でみことばや証しを通して主を宣べ伝える証人となる。2章以降を読めばそうなることが分かる。「エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります」宣教は弟子達だけでは担いきれないほど拡大する。だから使徒達の他に多くの人達が起こされて聖霊の力によって主のために大きな働きをした。
今の私達も聖霊の力によって主のために大きな働きができる。だが、主がもう少しでいなくなる頃、弟子達が心細さや力不足を覚えて聖霊を求めたように、私達も自分の弱さや力不足を認めながら主に信頼して進んでいこう。聖霊はそういう私達に注がれて、私達も主の証人として神のみ栄えのために大きな働きができるのである。
