礼拝説教の要旨・2026年5月17日・使徒1:15-26
“12人いるイエスの復活の証人”
主の復活からペンテコステまでの50日間に復活、昇天が起こり、救いの道が定められ、聖霊降臨の約束や世界宣教の幻が示され、弟子達は宣教に遣わされる準備が整いつつあった。隠されていたことも明らかになった。イスカリオテ・ユダの裏切りだ。ユダは会計の奉仕を任されるほど主イエスや他の弟子達に信頼されていたが、少しずつ金を盗み、ついに祭司長達と銀貨30枚で主イエスを引き渡す取引をし、捕らえる者達の手引きをして主は逮捕され、ユダヤ人議会で裁判にかけられて死刑の判決を受けた。マタイ27章では、ユダは主の死刑判決を聞いて後悔し、銀貨30枚を神殿に投げ込み首吊り自殺したと書いてあり、使徒の働きでは、ユダは不義の報酬で地所を手に入れたが、真っ逆さまに落ちて、からだが真っ二つに裂け、はらわたがすべて飛び出したと書いてある。食い違いは説明できないが、弟子達はこの出来事に示された神のみこころを聖書、特にダビデの詩篇を通して調べた。
ユダの裏切りは弟子達にとって衝撃的なことだが、それによって御子キリストは十字架にかかり救いの道を定める神のご計画が成就した。さらに弟子達は12弟子の1人のユダが裏切ったことについて詩篇69:25「彼らの宿営が荒れ果て、その天幕から住む者が絶えますように」からユダの「地所」または「宿営」が荒れ果てて住む人がいない土地になるという預言が成就したと理解した。さらに詩篇109:8「彼の日数はわずかとなり、その務めは他人が取り」から「務め」とは使徒職であり、ユダはいなくなったからその職をだれかが引き継ぐことを命じていると理解した。ユダがしたことは大きな罪であり、彼は呪われた男だと思い、キリスト教会の汚点になる忌まわしいことだから闇に葬りたかっただろう。複雑な思いだったと考えられる。また1人足りなくても宣教はできるのになぜ12人にこだわるのかと思ったかもしれないが、12はイスラエルの12部族の象徴であり、神は12部族を通して祝福を全地に及ぼそうとし、その象徴は新約聖書にも引き継がれ、使徒の数は12人であり、黙示録の14万4千人(1万2千人の12倍)は終末のキリスト者を表す象徴である。だから弟子達はみことば通りに使徒の職務を引き継ぐ者を立てることだけを考えた。
その職務を引き継ぐには2つの条件があった。1つは主イエスの復活の証人であること、
もう1つは初めから主の弟子であったことだ。これらの条件に合う者としてヨセフとマッテヤがいて、彼らが使徒職の候補者となった。12人を満たすとは1人を選び、1人を排除することだ。どちらも使徒職にふさわしく2人とも使徒にしたいと思って定員を13人にすることは出来ない。また選挙をすると、人間の思いが強く働く可能性がある。彼らが求めていたのは神のみこころだ。「すべての人の心をご存知である主よ。この2人のうち、あなたがお選びになった1人をお示しください」だから彼らはくじを引いた。くじ引きは、自分達の思いを入れないで引いた籤にすべての判断を委ねる行為だからだ。そのようにして神のみこころを求め、マッテヤが選ばれた。その真似をして私達もくじ引きをすべきだとは言わないが、自分の思いを入れないで神のみこころを求める姿勢は、自分の思いを神のみこころと思い込みやすい私達には大いに参考になる。神のみこころを求めることを心がけていこう。
