礼拝説教の要旨・2026年8月2日・ルカ10:1-9
“収穫は多いが、働き手は少ない。主はあなたに期待。”
主イエスはご自身が去った後、福音宣教を任せるために前もってこの72人を伝道旅行に遣わし、宣教の訓練を受けさせた。70人の写本もあるが、この数字は創世記10章の洪水後の民族表から来ている。ノアの子セム、ハム、ヤフェテの子孫から諸民族が広がったが、それは洪水後の全人類を表す。主は全世界を意識して70(72)人を選ばれた。世界宣教が目標。2人ずつ遣わすやり方はモーセの律法「人の罪は2人か3人の証言によって立証されるのであり、1人の証言によって立証されてはならない」から来る。福音宣教とは起こったこと(復活など)を証言する働き。「収穫は多いが、働き手が少ない」宣教にはやりきれないほどすることがたくさんある。「収穫の主に、ご自分の収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい」いろんな人に関わり福音を届けるには、いろんな働き手が必要。漁師のペテロやヨハネだけでなく取税人マタイが選ばれた。人間は皆、死ぬから後継者が必要である。
「あなたがたを遣わすのは、狼の中に子羊を送り出すようなもの」人々は必ず私達を受け入れてくれるわけではない。心を開かない人、批判的な人、表向き好意的でも受け入れない人がいる。主は、私達がへこたれないように前もって厳しい現実を教えた。「財布も袋も持たず、履き物もはかずに行きなさい。道でだれにもあいさつしてはいけません」収穫とはその時を逃してはならない緊急の働き。魂の刈り取りも同じだ。ヨハネ4章「目を上げて畑を見なさい。色づいて刈り入れるばかりになっています」これから魂の刈り入れという時に財布や袋や履き物を忘れたことを思い出しても、家に取りに戻る暇はないから、そのままで魂の刈り入れをしなさい。道で挨拶し、おしゃべりすることは交わりを築くためには大切だが、そんな大切なことを犠牲にしてでも、魂の収穫のためにタップリ時間を遣いなさいと教える。財布や袋や履き物を拡大解釈すると、時間と費用が与えられ、準備ができたから宣教するという悠長なことは 言っていられない。宣教の機会が与えられたら、すぐに始めなさい、そのために必要なものは主が満たしてくださることを信じなさいと教えている。
では、どのように主は必要を満たすのか?宣教に遣わされた者を受け入れ、世話をする「平安の子」を探すことを指示。「その家にとどまり、出される物を食べたり飲んだりしなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからです」収穫のための働き人は、大切な神の働きをしているからその働きのために必要なものは当然受けるべき報酬として受けてよい。その報酬はどこから来るのか?現象としては、泊まった家の人から来るが、その人(平安の子)は神に奉仕するつもりでその働き人を受け入れ、お世話をする。だから報酬はお世話する人から来るように見えても神から来ている。だから気兼ねしないで受け取り、しっかり働けばよい。
雇い主の神と神に雇われた働き人という関係は、伝道者だけでなくキリスト者すべてに当てはまる。一般社会にはその関係はなくて、ただたくさん報酬があればいいと考える。少ない報酬に不満、大きな報酬の人達へは羨望の目を向ける。だが、私達キリスト者は神が自分の必要を満たしてくださるという信仰で歩む。「これらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。まず神の国と神の義を求めなさい。」
