第二サムエル15:1-16:14

「主は呪いに代えて祝福を下さるだろう」 内田耕治師

ダビデは素晴らしい信仰者ですが、最初の息子アムノンを溺愛し、腹違いの息子アブシャロムを疎んじたという子育ての大きな落度がありました。甘やかされたアムノンは自制の効かない者に育ち、腹違いの妹タマルをだまして強姦しました。タマルの実の兄アブシャロムはそんなことをしたアムノンを憎んで暗殺し、母の実家に逃亡し、3年間そこにいました。

ダビデはアムノンの死をただ嘆き悲しみ、アブシャロムに対して敵意を抱きました。家来ヨアブがダビデとアブシャロムの拗れた関係を何とか回復させようと努力してアブシャロムはエルサレムに戻って来たもののダビデは2年間も会おうとせず、アブシャロムの心は完全にダビデから離れて密かに自分の兵士を集め、人々の心を盗んで反乱を計画し自分が即位したと宣言して父から王位を奪いました。

息子に命を狙われたダビデはエルサレムから家来を引き連れて逃亡しました。途中に出会ったシムイは石を投げつけ「出て行け、出て行け。血まみれの者、よこしまな者。――」と言って盛んに呪いました。けれども、エルサレムの状況を逐一を報告させるために祭司達やフシャイを新しい王アブシャロムのもとに残したようにエルサレムに返り咲く希望を持っていました。

シムイがダビデを呪ったときも、「彼に呪わせなさい。主が彼に命じられたのだから。」と

呪いの言葉を甘んじて受けながら「主は、きょうの彼の呪いに代えて、私に幸せをくださるだろう。」と希望を持っていました。それはダビデが”主は一時自分を呪っても見捨てることはない。”という信仰を持っていたからです。彼は大きな落度を犯しても、それを悔やんで自分を責め続けることはなく、そんな自分をも主は必ず祝福してくださると主に信頼していたのです。ダビデほどでなくても私達も落度の多い者ですが、そんな私達をも主は見捨てないで適切に導き、祝福を与えて下さいます。私達も希望を持つことが出来ます。

「まことに、御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。」   詩篇30:5