礼拝説教の要旨・2026年2月8日・ルカ9:49-56
“キリストの愛の叱責を思い起こせ”
ゼベダイの息子達は2つのみこころに適わないことをしたが、その背後に民族の性格があった。イスラエル人は先祖アブラハムが神に選ばれ、カナンの地の相続、子孫の祝福、全人類の祝福という約束をいただき、カナンの地に向かったことから始まる。彼らはその後、エジプトに移住し、奴隷にされ長い間、虐げられたが、神が遣わしたモーセに導かれてエジプトを出て、シナイ山で律法を与えられ、荒野の40年を経てカナンの地に入った。異民族の攻撃を受けたが、神に守られ、国を造り、神を崇める神殿を造った。その後、北と南に分裂した。周囲の諸民族が偶像の神々を崇める中、彼らは唯一真の神だけを崇めていたが、偶像の神々に誘惑され、次第に唯一真の神から離れ、国も乱れて弱体化し、北王国はアッシリアに滅ぼされ、南王国はバビロンに滅ぼされ、捕囚となり、帰国後も大国に支配され、政治的屈辱が続いたが彼らの選民意識は損なわれず、さらに強くなり、排他的な独善性を生み出した。
だが、その独善性は福音宣教を妨げる壁になるから主イエスはその壁を崩すよう心がけた。「先生。あなたの名によって悪霊を追い出している人を見たので、やめさせようとしました。その人が私たちについて来なかったからです」ヨハネは主の御名を自分達の専売特許のように考えたが、主は「やめさせてはいけません。あなたがたに反対しない人は、あなたがたの味方です」と優しく戒め、外の人々との間に余計な壁を作ることを避けるよう教えた。それは宣教の機会を出来るだけ広げるためだ。ユダヤ人の排他的な独善性は、サマリア人に対して強く現れた。サマリア人とは滅ぼされた北王国でユダヤ人と外国人が混血して生まれた民族だ。彼らはユダヤ人と似た文化を持ち、同じ神を信じていたが大事な点で信仰の違いがあることや過去のこんがらがった歴史のゆえに両者は犬猿の仲になっていた。
だが、主はサマリア人と交わりを持ち、彼らに福音を伝えようとした。ヨハネ4章のサマリア人の女は主を信じ、彼女の村の多くの人達も主を信じた。今日の箇所で主はエルサレムに向かう途中、サマリア人の村に短い期間、滞在するために使いを送ったが「イエスが御顔をエルサレムに向けて進んでおられたのでサマリア人はイエスを受け入れなかった」なぜか?信仰の違いが原因だ。かつて「私達の先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは礼拝すべき場所はエルサレムにある」と言うサマリヤの女に、主は「女の人よ、わたしを信じなさい。この山でもなく、エルサレムでもないところで、あなたがたが父を礼拝する時が来ます」と語ったが、ルカ9章のサマリア人が主を拒否したのは、先に送った使いが言ったことを彼らが“イエスは礼拝をエルサレムでする”と誤解して拒否したと考えられる。でも、問題はヤコブとヨハネが腹を立て「主よ、私たちが天から火を下して彼らを焼き滅ぼしましょうか」と預言者エリヤの言葉を用いて言ったことに現れた排他的な独善性だ。それは「あなたによって全人類が祝福される」神のご計画を妨げる壁となるから主は2人を叱りつけた。
悔い改めたと書いてないから彼らは叱られた理由が分からなかったが、その体験は記憶に残り、考える機会を与え、その他の神の導きもあり、選民意識を捨て、異邦人伝道を始めた。後で彼らは昔の自分を恥じただろう。主は彼らを愛と忍耐で導いたのである。私達も同じだ。
