礼拝説教の要旨・2026年3月1日・ヨハネ14:1-31
“あなたを救うキリストと御父と助け主”
イエス様は自分が去った後、宣教を始める弟子達が福音を十分に理解し、それを伝える働き人とするために告別説教を語った。それは原稿の朗読ではなく弟子達の発言に対する応答だ。弟子達は主が去ることに薄々気づき不安だったので、主は「心を騒がしてなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい」と語り、それに続いて主は天の父の家に行き、部屋を用意して弟子達をそこに迎え、自分が父につながる道だと語った。だが、正直で他の人達を気にしないトマスは「主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりません。どうしたら、その道を知ることができるのか」と尋ねた。そのおかげで主は「道」についてもっと詳しく説明するために「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」の有名なみことばを語れた。でも、大切な点は「わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行けない」だ。さらに主を信じれば父なる神も信じることや主につながれば父なる神につながることを語った。
だがピリポが「主よ、私たちに父を見せてください。そうすれば満足します」と言い、主をガッカリさせたが、その言葉で弟子達の信仰の弱点が判明し、主はその点をカバーするために、父と子は1つだから自分は子なる神であると教えた。私達も同じ弱さを抱える。2000年前の主は人間として生き、働き、宣教した。イエス様は神がかったところはあるが人間に見える。聖書を読んでいないと、私達もイエス様が神であることを理解できないことがある。だから御父と1つである御子イエスは子なる神だと語る。次に主は聖霊との関係を語る。
“主は弟子達から去ろうとしていたが、その代わりに主が父にお願してもう1人の助け主が来る、その方は真理の御霊である、そのお方が主を信じる者とともにいて下さる”と語った。
以上、主は自分と父なる神の関係、自分と父なる神と聖霊の関係を語った。これらの関係を一言で言うと、三位一体だ。その頃、まだ三位一体という言葉はなかったが、主は弟子達から去る前に“あなたがたの信じる神は三位一体の神だ”と強調して教えた。
では、なぜ三位一体の神か?現代の教会で人格者の牧師が転任や引退で教会から去ると、一緒に教会から去る人達がいる。彼らは神ではなくその牧師の信奉者だった。同様に弟子達も主の人格に引かれて従ったが、主がいなくなった途端にいなくなる危険性があったが、そうならないように主は弟子達に三位一体の神を語った。“わたしは去り、父のもとに帰り、わたしと父は1つになってあなたがたのために祈る。わたしが去った後に、もう1人の助け主である聖霊が来て、あなたがたと共にいて下さる。これまであなたがたは、わたし1人を頼りにしてきたが、これからは、わたしと父と聖霊を頼りにしてください“と主は言いたかった。その証拠にイスカリオテでないほうのユダが「主よ、私たちにはご自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、どうしてですか」とメシヤとしての活動を求めた時、主は話をそらすために、これまで語ったことを繰り返した。なぜか?主はイスラエルの再建でもなく、弟子達に頼りにされるためでもなく、彼らが三位一体の神を頼りにして歩むことを願ったからだ。今の私達にも同様に“去って行く人を追い求めるのはほどほどに。むしろ、父、子、御霊の三位一体の神とともにあることを喜びとしなさい”と語りかけている。
