礼拝説教の要旨・2026年6月7日・マタイ13:24-43
“収穫前までは毒麦はそのまま。でもーーー!”
昔から現在までの長い教会の歴史は麦の種は蒔かれるが、そのそばに毒麦の種も蒔かれる歴史を繰り返してきた。初代教会には、異邦人信者に割礼を始めとするユダヤ人の律法を守らなければ救われないと言い、割礼を受けさせていたユダヤ主義者の異端がいた。彼らは信仰による救いという福音の真理を否定したが、パウロは彼らに対抗してガラテヤ書を書いた。その後も様々な異端が続く。イエスキリストは神であるとともに人でもあるお方だが、イエスは肉体はない幻だったと言う人達がいた。だから第二ヨハネには「キリストが人となって来られたことを告白しない者達が大勢出て来たが、彼らは反キリストです」と書いてある。4世紀にアリウスがイエスは父と同質の神ではないと言い出し、三位一体論争が起こり、長い論争を経てアリウス派は排除された。エホバの証人はアリウス派と似た考えを持つ。
国家も毒麦となることがある。自分がローマの町に火をつけて、それをキリスト者のせいにして迫害した皇帝ネロを始めとして自分の野望を実現するために酷いことをする独裁者が現れる。ローマ時代の皇帝礼拝、戦前の日本の天皇崇拝など私達が受け入れられないことを国家が行うことがある。独裁者は自分に都合のいい情報だけを伝え、都合の悪い情報は闇に葬り、人々を自分の野望の実現のために奉仕する忠実なしもべにしようとする。欲望を満たすことを第一とするこの世も、あからさまにキリストに反対はしなくても、知らないうちに私達の信仰生活を妨げる。この世も意外に大きな毒麦になりうる。
毒麦が存在するこの世界に生きる私達に、イエス様は小さなからし種や少量のパン種の力を教えている。異端の問題は非常に難しいし、国家に独裁者が現れ、変な方向に動き出したら恐ろしいし、知らないうちに私達を誘惑して欲望の虜にするこの世は手強いが、からし種が生長すると、どんな野菜よりも大きな木となるように、パン種を取って3サトンの小麦粉に入れると全体がふくらむように、小さな物、少量の物が大きな実を結ぶ。小さな少量のものとは、私達が伝えるみことばや私達の祈りである。巨大な毒麦の脅威の前に、私達は自分達が本当に小さな存在に思えてしまう。だが、みことばや祈りは毒麦が猛威を振るう中でも、ゆっくり働いて豊かな実を結ぶことができる。
その良い例がローマ帝国でのキリスト者の増加だ。初めキリスト者は帝国内では少数派だった。紀元後100年頃でキリスト者の数は約7500人、だがキリスト教が公認される紀元後310年頃には、880万人に驚異的に増加。教会は外からは時々来る迫害でたくさんの殉教者を出し、内からは様々な異端が出て教会はその都度、対応に苦しんだ。毒麦は大きな猛威を振るったが、キリスト者達がみことばを伝え、祈ることによって麦は豊かに実った。ローマ帝国時代の教会成長は私達にとって励ましだ。世の終わりまで毒麦はこの世に存在し続ける。
毒麦がなくなるとか、無力化するとかはあり得ない。けれども、毒麦がたくさん存在する中で麦は力強く育つことができる。だから希望をもってみことばを伝え続け、祈り続け、主を証しし、キリストにある愛の交わりを築いていこう。
