礼拝説教の要旨・2026年8月9日・ルカ10:9-16
“不幸な町にならないためのイエスの福音”
主イエスは宣教して魂を収穫するための働き手を養成するために伝道旅行を計画された。
主は全人類を目標に72人を伝道旅行に派遣。2人ずつは宣教が事実の証言であることを表す。宣教はたくさんの働き人が連帯してできるものだから「収穫は多いが、働き手が少ない。――収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい」と祈らせた。伝道旅行には批判、反対、迫害が伴うことがあるから「あなたがたを遣わすのは、狼の中に子羊を送り出すようなものです」と前もって覚悟させ、まず受け入れてくれる平安の子を見つけてその家に留まり、そこを拠点にして福音を伝えさせた。「働く者が報酬を受けるのは当然だからです」平安の子が食べ物、飲み物、住む所の世話をしてくれることを気兼ねせず、神からの報酬として受け取り、宣教に励めと教えた。
福音を拒否する町には「私たちは、足についたこの町のチリさえ、おまえたちに払い落として行く。しかし、神の国が近づいたことは知っておきなさい」と語らせた。これは最後通告だ。「その日には、ソドムのほうが、その町よりもさばきに耐えやすいのです」ソドムは甚だしく堕落して神のさばきで滅ぼされた町だが、その日にはそんなソドムよりも酷い神のさばきが下される。そんなさばきが下される町々とはコラジン、ベッサイダ、カぺナウムなどガリラヤの町々だと語った。「ああ、コラジン。ああ、ベツサイダ。おまえたちの間で行われた力あるわざが、ツロとシドンで行われていたら、彼らはとうの昔に荒布をまとい、灰をかぶって座り、悔い改めていたことだろう。」ツロもシドンもその豊かさのゆえに自分を神のように言って驕り高ぶり、堕落して神のさばきを受けたが、ガリラヤの町々で行われた主のみわざがもしツロやシドンで行われたら彼らは悔い改めたはずだ。しかし、悔い改めなかったガリラヤの町々は救いようがない。カぺナウムはよみに落とされる。
「あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾け、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのです。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒むのです」72人はみことばを語った経験がなく知識も十分ではなく自信がなかったかもしれないが“自分達が語ることに耳を傾ける者は主に耳を傾ける者”という教えに励まされて伝道旅行に向かった。みことばを専門的に学んだパウロも同じだ。2コリント10章「パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際にあってみると弱々しく、話は大したことがない」おそらくパウロのお話は眠気をもよおすようなものだったと考えられる。いつの時代でも人々は元気の出るような言い切るメッセージを求めるから、少し難しく眠気をもよおすパウロのお話に対して不満な人達がいたが、眠気をもよおすようなパウロのお話でも彼のお話に耳を傾けることは主に耳を傾けることだ。話すことが苦手であまり話さない人にも主は信仰やみことばを語ることを期待する。
1ペテロ3章「あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでも、いつでも弁明できる用意をしていなさい」話すのが苦手な皆さんは恐れて自分の救いや信仰をあまり語らない。だが、宣教のために雄弁な人達だけでなく寡黙な人も話下手な人も用いられる。「私に耳を傾ける者は主に耳を傾ける者」で堂々とみことばや証しを語ればよい。
