礼拝説教の要旨・2026年8月16日・ルカ10:17-20
“大事なことは、天にあなたの名が書き記されていること”
伝道旅行から帰った72人は主イエスに主の御名で祈ると悪霊が出ていくことを喜んで報告した。主はサタンが天から落ちるの見て、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を彼らに授けたと言ったが、その権威が何なのか語らない。むしろ「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜べ」と教えた。神には人間のことを書き記した書物がある。私達は神の前から隠れることができない。詩篇139:15-16「私が隠れた所で造られ、地の深い所で織り上げられたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが記されました。」私達の体の詳細な設計図が、神の書物には書かれている。その書物には体だけでなく私達の名前が書かれている。出エジプト32章「今、もしあなたが彼らの罪を赦してくださるなら。しかし、かなわないなら、どうかあなたがお書きになった書物から私の名を消し去ってください」モーセはイスラエル人の罪が赦されるためなら自分の名前が消されてもいいと申し出た。だが、神はその申し出を拒否。人間は罪の身代わりとなれない。それができるのは神の御子イエスだけだ。
詩篇69:27-28「どうか、彼らの咎に咎を加え、彼らをあなたの義のうちに入れないでください。彼らがいのちの書から消し去られますように。正しい者と並べて、彼らが書き記されることがありませんように」これはダビデの呪いの祈りだ。「いのちの書」があり、そこに名前が記されることは「あなたの義のうちに入れられること」である。「いのちの書」の「いのち」とは何か?それはやがて死んでなくなるこの世のいのちではなく永遠のいのちだ。
ダニエル12:1-2「――その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかし、その時、あなたの民で、あの書に記されている者はみな救われる。ちりの大地の中に眠っている者のうち、多くの者が目を覚ます。ある者は永遠のいのちに、ある者は恥辱と永遠の嫌悪に。」世の終わりに救われた者が復活し、永遠のいのちが与えられることを預言する。黙示録20:12-15「いのちの書に記されていない者はみな、火の池に投げ込まれた」いのちの書に名前が書き記されていなければ、救われず、永遠のいのちが得られない。
主は悪霊追放が出来てもいのちの書に名前がないことを警告する。マタイ7章「その日には多くの者がわたしに言うでしょう‘主よ。私はあなたの名によって預言し、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの奇跡を行ったではありませんか’しかし、わたしはそのとき、彼らにはっきり言います‘わたしはおまえたちを全く知らない。不法を行う者たち、わたしから離れて行け」だから喜べるのは名が天に書き記されていることだけだ。それがあれば、この世で積み上げた業績が全部崩れたとしても救われる。1コリント3章「その人自身は火の中をくぐるようにして助かる」イエスキリストが土台だから。
マルコ8章「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら、何の益があるでしょうか」「自分のいのち」とはこの世の命ではなく永遠のいのちだ。そのいのちを失ったら、それは大きな損失だ。とかく私達はこの世のものを追い求めるが、永遠のいのちを与えてくれる主イエスから目を離してはならない。天に名が記されていることを喜ぼう。
