礼拝説教の要旨・2026年8月23日・ルカ10:21-24
“幼子たちに現れる天地の主”
伝道旅行に遣わされた72人は主イエスのもとに戻った時、悪霊追放を喜びながら報告したが、主はそれを誉めることなく「霊どもが服従することを喜ぶのではなく、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」と諭した。彼らは悪霊追放に夢中で、天に自分達の名前が書き記されたことが分からなかった。「――あなたはこれらのことを、知恵ある者や賢い者には隠して、幼子たちに現してくださいました」知恵ある者や賢い者は自分の知恵や賢さを見せびらかしたくなる。見せないで凡人のように振舞う人達もいるが、心のうちでは自分の知恵や賢さを評価されることを願う。同じように72人も悪霊どもを追い出せたことを自慢し自分を認めてほしいと思った。知恵がある人でもない人でも、賢くても賢くなくても人間はみんな同じだ。一方「幼子たち」とは何か?幼子は何も知らないから見せびらかすものが何もない。だから何か新しいことを聞くと“それなあに、教えて”と求めて来る。絵本を読むと“読んで、読んで”とどんどん請求する。天に名前が書き知るされることは幼子のように求める者に示される。これは霊的な真理である。
72人は幼子ではなく大人だから自分のしたことを見せたいし自慢したい思いがあったので悪霊追放ができたことを喜んで主に報告したが、主はそういう思いは一旦、横に置いて幼子のように天に自分達の名前が書き記されたことを喜ぶように諭した。次に主は、72人に天に名前を書き記してくださったお方自体に目を向けさせようとした。だれか知らない人が
私達に凄いプレゼントを下さったなら、驚きとともに“下さったのは誰なのか?お礼を言わなければ”と思って、その人を探して“本当に有難うございました”とお礼を言う。お礼を言わなければ、何か大切なことを忘れている気持ちになる。同じように罪深い自分の名前をいのちの書に書き記してくださったことは何物にも代えがたい大きな喜びだから、自分の名前を天に書き記してくださったお方を探して知り、感謝したくなる。それが信仰だ。だから主は彼らに名前を書き記して下さったお方を知るように勧めた。
では、お方とはだれか?「子がだれであるかは、父のほかはだれも知りません。また父がだれであるかは、子(が知っている)」のだが、この親子関係以外に「子が父を現わそうと心に定めた者」がいると主は言われた。72人は父なる神を知らせるために御子イエスが特別に選んだ者である。だから彼らは天に名前が書き記された。私達も父なる神を知るように主が心に定めた者である。私達が教会に来て福音を聞くキッカケは様々だが、その背後で主が父なる神を現わそうと私達を選んでくださった。主が選んだ者は他のだれもが見聞きしなかったことを見聞きできる。「多くの預言者や王達は、あなたがたの見ているものを見たいと願ったのに、見られず、あなたがたの聞いていることを聞きたいと願ったのに、聞けませんでした」名前を天に書き記すなんて誰も聞けなかったことを、あなたは聞いている。普通ならあり得ないことだ。だから、あなたの名前を天に書き記した父なる神を知り、感謝と賛美をささげるよう勧めている。私達も72人の弟子達と同じような存在だが、知恵も知識のない幼子になり、天に名前が書かれたことを喜び、父なる神をほめたたえていこう。
