礼拝説教の要旨・2026年11月1日・ルカ11:14-23、1コリント3:6-7
“悪霊のかしらにまさる神の指”
現代のような医療がなく、いかがわしい祈祷師に癒しを頼らざるを得なかった当時、イエスの悪霊追放は切実なことだった。主が悪霊を追放し、口がきけなかった人が話し、群衆は驚いたが、イエスが悪霊どものかしらベルゼブルによって悪霊どもを追い出したと批判する者がいた。しかし、主は侮辱されても怒らず、冷静に対応し、ベルゼブルの話を利用してあるメッセージを人々に語った。「あなたがたは、わたしがベルゼブルによって悪霊どもを追い出していると言うが、サタンが仲間割れをしたのなら、どうしてサタンの国は立ち行くことができるのか」だから悪霊どものかしらが悪霊どもを追い出すことはあり得ない。では、どのように追い出したのか?神の指によって悪霊どもを追い出した。「わたしが神の指で悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです」
では、神の国とは何か?よく神の国とは私達が世の終わりに入る天国と言われる。確かに神の国とは天国だが、それだけではない。今この世界にも神の国は存在する。国とはある権威の支配下にあること、たとえば日本国は日本政府の支配下にあること。そして神の国とは神の支配下にあること。この世でも神の支配があるところは神の国だ。イエスキリストを信じる私達には神の支配があるから私達には神の国がある。イエスが神の指によって悪霊を追い出した人達はサタンの支配下から神の支配下に移り、彼らのうちには神の国がある。この世にはサタンの支配が存在し、神の支配も存在する。両者は共存するのではなくて神がサタンを追い出して主導権を取り、神の支配を広げようとしている。現実問題としてサタンは強固な支配圏を世界中に広げているように見える。だが、神はサタンの強固な支配圏を少しずつ切り崩して神の支配圏を広げている。神の力はサタンの力よりも遥かに強いからだ。「しかし、もっと強い人が襲って来て彼に打ち勝つと、彼が頼みにしていた武具を奪い、分捕り品を分けます。」「もっと強い人」とはイエスキリストだ。
イエスは神の国を広げるために私達の協力を求める。「わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしとともに集めない者は散らしている」主のみわざに全く協力しない人は“私は主に敵対するつもりはない”と言っても、それは主に敵対することになる。魂を神の国に集めようとしない人は“私は魂を散らすつもりは全くない”と言っても、魂を散らすことになる。神の国とは何か?から考えよう。マルコ4章「神の国はからし種のようなものです。地に蒔かれるときは、地の上のどんな種よりも小さいのですが、蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張って、その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります」。木はゆっくりと成長する。神の国も木のようにゆっくりと成長する。神の国を成長させるのは神だが、私達にもすることがある。「大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です」神が神の国を成長させると言いながら人の役割も言っている。それはみことばを伝え、祈ることだ。私達は神からイエスキリストを通して驚くべき恵みを与えられた。それはイエスの血によって罪が赦され救われたことだ。その恵みを覚えたら神の国を広げるために自然に主に協力したくなる。みことばと祈りによって主に協力していこう。
