礼拝説教の要旨・2026年7月5日・使徒2:22-36,第二ヨハネ5-9
”信じることを告白するキリスト教“
私達は目に見えないものを信じている。聖書を読んで何を信じているか分かっている。私達は聖書信仰だ。ただし聖書だけで他は何も読まない。使徒信条は聖書ではないから読まないという極端なことは言わない。使徒信条も尊重するべきだ。その理由は次のことだ。
ペンテコステから始まった古代教会は救い主を旧約の預言が成就して来られたお方だと信じた。彼らは旧約聖書を大切にした。一方、新約聖書はまだなかった。使徒達の手紙が回って来て皆の前で朗読したが、まだ正典ではなかった。新約聖書の成立は4世紀だ。使徒以外の手紙もあり、たまに偽預言者の手紙も来た。警戒も必要だった。基本的な教えがあり人から人へと伝えられ、それを元にして礼拝を行い、信仰生活をしていた。
使徒2:42「使徒たちの教え」、ローマ6:17「伝えられた教えの規範」、1コリント11:2「伝えられた教え」1コリント15:3「最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって」基本的な教えとは使徒信条の内容とほぼ同じだ。使徒信条が今の形にまとまったのは8世紀だが、その原型は早いうちから存在していた。それが古代教会の教えだ。
また古代教会の教えは、バプテスマを授ける時に用いられた。イエス様はマタイ28章で「父、子、聖霊の名において授ける」ことを教え、教会は早い時期から父はどんなお方か、子はどんなお方か、聖霊はどんなお方か基本的なことを加えて、それらを「信じます」と告白したことを確認してバプテスマを授けていた。この形式は使徒信条の「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず」「我はその独り子、我らの主、イエスキリストを信ずーーー」そして「我は聖霊を信ず」という形式の告白に表れている。
古代教会は、異端の攻撃を受けることで福音の真理にしっかり立つようになった。最大の異端は2世紀に現れたグノーシス主義だった。彼らの神観には宇宙に隠れた至高の存在である神と物質界を創造した低次元の神がいる。キリスト教的に言うと、魂の救いをもたらす新約の神は至高の存在、天地を創造した旧約の神は低次元の神ということだ。彼らの神観は古代教会に混乱をもたらしたが、旧約の神も新約の神も同じ唯一の神だという信仰告白に立ち、試練を乗り越えた。彼らはイエスをグノーシス(知識)によって人間を至高の存在である神とつなげる者と教えたが、教会はイエス様が私達の罪のために十字架にかかり、罪の赦しをもたらす方だという信仰告白をし、キリストは肉体がなかった霊や幻だったというグノーシスの主張に対してキリストは処女マリアから私達と同じ人として生まれ十字架でその肉が裂かれ、その血を流された、キリストは霊や幻ではない、肉体を持つお方だという信仰告白に立った。「人を惑わす者達、イエスキリストが人となって来られたことを告白しない者たちが大勢世に出て来たからです。こういう者は惑わす者であり、反キリストです」福音の真理をめぐって熾烈な信仰の戦いがあったことを教えてくれる。でも、その戦いを通して古代の教会は、訓練を受け、きよめられ、整えられた。「気をつけて,私たちが労して得たものを失わないように、むしろ豊かな報いを受けられるようにしなさい」その戦いとともに「互いに愛し合え」と教えている。福音の真理を守ると共に互いに愛することも大切にしよう。
