礼拝説教・2026年9月27日・ルカ10:38-42

“必要なことは1つだけ”

イエスはよく弟子達を伝道旅行に遣わしたが、ご自身も旅行しながら福音を伝えた。宿泊はイエスに関心を持ち、福音を聞きたい人達の家でした。「一行が進んでいくうちに、イエスはある村に入られた」ヨハネ11章によるとそれはエルサレム近郊のベタニアだ。マルタとマリアには復活で有名なラザロもいた。そんな家族に主と弟子達が宿泊した。主を招いたマルタがおそらく年長で家族の主導権を握っていた。伝道旅行だからイエス一行の宿泊を受け入れるとは、イエスの福音を聞くことを意味した。主は家に入ると、早速みことばを語り出した。しばらくすると、マルタは食事のことが気になり、台所に行って食事の準備を始めた。弟子達もいたから大量に作る必要があり彼女は1人で頑張っていたがイライラしてきた。

その間、マリアは手伝わないで主のことばに聞き入っていた。そんな状況がしばらく続いて、ついにマルタは堪忍袋の緒が切れてイエスのところに行って不満をぶちまけた。

「主よ。私の姉妹が私だけにもてなしを、させているのを、何ともお思いにならないのですか、私の手伝いをするようにおっしゃってください」マルタは“あんたも手伝いなさい”とは言わないで、主がマリアに“マルタを手伝ってあげなさい“と言うように仕向けた。主が言えばマリアは納得して手伝うと思ったからだ。マルタは家に泊めてくれて食事の世話までしてくれる感謝すべき人だが、みことばを聞く姿勢が足りないことを主は残念に思っていた。もし皆さんが主の立場ならどうするか?マリアに対して“話の続きは食事の後でするから、今はマルタを手伝ってあげなさい”と言ってマルタの不満をなだめるかもしれない。だが、主はマルタの足りないところを良くするためにズバリ語るべきことを語った。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろのことを思い煩って、心を乱しています。」もしかしたらマルタが憤慨するかもしれないのに、主は率直にマルタの心の状態を指摘した。

「しかし、必要なことは1つだけです。マリアはその良いほうを選びました。」その時、必要なこととはみことばを聞くことと、食事の用意をすること。両方とも必要だが、この場合、マリアはみことばを聞くことのほうが大切だと思い、それを優先した。一方、マルタはみことばを聞くことの大切さがあまり分かっていなかったので食事の準備を優先し、手伝わないマリアを責める思いを持ち、手伝わせようとした。それを見て主は「必要なことは1つだけ」と言った。「1つだけ」なら是非しなければならないものと受け止めるからだ。マルタは手伝わせることでマリアからみことばを聞くことを取り上げようとしていたが、「それは彼女から取り上げられることはない」で主はさらにみことばを聞くことの大切さを強調した。

なぜ主はマルタが憤慨するリスクを冒してまでそうしたのか?彼女は種蒔きのたとえの“茨の中に落ちた種”に似ているからだ。茨の中に落ちた種は芽を出しても茨にふさがれて伸びないように信仰が成長しない。茨とはこの世の思い煩いや富の惑わし、その他の欲望を表す。私達もそれらに支配されないように努めてみことばを聞く必要がある。神も、罪も、救いも、救い主も、再臨も、永遠のいのちもみことばを通して知ることができる。もしみことばがなければ私達は霊的な暗黒状態に陥る。だからみことばを聞き読むことを心がけよう。